「24時間戦えますか?」の終わり方。均等法第一世代から見える、働き方の40年とこれから

昭和の働き方24時間戦えますかと現代の働き方の変化を象徴するコラム用アイキャッチ男社会ルール均等法第一世代高市総理の午前3時問題昭和レガシー労働を示すイメージ

「24時間戦えますか?」

昭和の終わり、日本中に響き渡ったあのキャッチコピーは、ただの栄養ドリンクのCMではなかった。

あれは“日本の働き方そのもの”を象徴するフレーズだった。

寝ないで働け。
根性で乗り切れ。
長時間こそ努力。
成果は量の先にある。

そして、そこを走る“企業戦士”として想定されていたのは、ほぼ男性だった。

なぜか?

家庭には妻がいて、家事も育児も介護も “誰かがやってくれる” 前提で作られたルールだった。

この構造の上に、「24時間戦える働き方」=正義という昭和の価値観が成立した。


1986年、「平等」という名のスタート

1986年、社会は「平等」という名のスタートを切った。
男女雇用機会均等法の施行により、女性にこう告げられる。

「あなたたちも、男性と“平等”に働けます!」

……いや、待ってほしい。

実際の“平等”の中身を整理すると、こうだ。

実際の“平等”の中身

  • 男性:家事ゼロ前提で24時間戦う
  • 女性:家事・育児・介護フル装備のまま同じコースを走る
  • 社会:これを『平等』と呼ぶ

うん。これ、もはやギャグである。

平等という名の「同じルールで戦え」は、実態として「荷物10倍で同じマラソン走れ」だった。

それでも、均等法第一世代の女性たちは走った。
転びながら、笑われながら、「女だから」が武器にも負担にもなりながらも、とにかく前に進むしかなかった。

その40年間の結果、社会は確実に変わってきた。

  • 女性管理職が生まれた
  • 育休制度が整った
  • 家庭内の分担が進んだ
  • 職場の価値観が変わり始めた
  • 働き方改革という言葉が登場した

産業革命以降、約270年にわたって“男性型”の社会設計が続いてきた。
その270年かけて作られた社会を、わずか40年でここまで動かした。
これは決して遅くはない。むしろ、ここまで来たこと自体が大きな一歩だ。

270年 vs 40年。
これが現実である。


2025年、高市総理の“午前3時仕事問題”。

今回の問題は、「午前3時に仕事をした」ことではない。

午前3時に仕事が発生してしまうほど、
“仕事の流れそのもの”が昭和の進め方からアップデートされていない。

そして驚いたのは、国会には質問提出の「明確な納期ルールが存在しない」ということ。

「できるだけ早く」——。
まさか、国会運営に“納期なし”のルールが適用されているとは思わなかった。

もちろん、緊急対応や情勢による例外はあるだろう。どんな仕事でもそれは同じだ。
しかし、基本のルールがないまま「できるだけ早く」で進むというのは、さすがに驚きだ。

実態としては、

  • 抽象的な質問がギリギリに提出される
  • 調整が長引く
  • 資料が直前に差し替わる
  • スケジュールが曖昧なまま進む
  • ということらしい。

その結果、官邸側に深夜帯の仕事が集中する。

これでは、どれだけ有能な総理でも「良い準備などできるはずがない」。
国の方向性を決める“仕事”なのに、入口の段取りが曖昧すぎる。

責められるべきは、高市総理個人ではない。
問題なのは、昭和のまま止まった“国会運営の仕組み”そのものではないか。


構造が“見えてしまった”理由

ここは誰かを持ち上げたり貶したりする話ではない。
仕事への向き合い方の違いが、構造を可視化したという話だ。

これまでの国会では、官僚が作ったペーパーをもとに進むことが多かったとされる。
それ自体が長く当たり前の形として定着しており、
国民の多くも、まさかそんな運用になっているとは思っていなかった。

だからこそ、今回あらためて「え、そんな仕組みだったの?」と驚いた人も多いのではないだろうか。

一方で高市総理は、
内容をきちんと理解し、考え、自分の言葉で語ろうとした。

その、ごくまっとうな姿勢の結果、
午前3時に仕事をせざるを得なくなった——というだけのことだ。

そして、その当たり前の姿勢によって、
国会側の遅延前提の段取りや曖昧さが、そのまま浮き彫りになった。


若手スタッフの反応

若手スタッフは、ニュースを見てこう言い始める。

「え、なにいっちゃってんの?」
「総理の体調の話じゃなくてさ、そもそもなんでそんな時間まで仕事になるの? 仕事の進め方が昭和なんだよ。」
「直前差し替え・忖度進行……これ“レガシー労働”でしょ」

さらに追い打ちの言葉。

「てか、あれで給料もらえるの羨ましい。
“段取りゆるゆる”が国の標準なら、そりゃ政治遅れるよ」

若手の直球は、昭和的な働き方の“ど真ん中の問題”を突いている。


働き方の課題は、歴史の延長線上にある

今起きていることも課題も、すべては歴史の延長線上にある。
社会の変化は一足飛びにはいかない。

ある意味、高市総理の誕生もその一例だ。
これまでの制度とルールの中で、当たり前の役割として仕事をまっとうしようとした。
その“まっとうさ”ゆえに、構造のゆがみがあらわになったのだと思う。


日本で初めて「均等法第一世代の女性が定年を迎える」

これは単なる定年ではない。

270年間続いた“男社会の働き方設計”に、女性が40年かけて風穴を開けた──その第1章の終わりだ。

そして、日本で祖父母・子ども・孫の三世代すべてが社会進出を果たした時代を迎える。
これは日本史上初めての出来事だ。


バトンは確実につながれている

均等法第一世代は、荷物が重くても自ら走ってみせた世代だ。
そのうえで、おかしいものはおかしいと声を上げてきた。

今回の問題も、「実際にやってみせたことで構造が可視化された」という点で同じ流れにある。

  • 「24時間戦えますか?」文化を壊し、
  • 長時間労働美学を崩し、
  • “戦う働き方”から“設計する働き方”へ、
  • 働き方そのものをアップデートする入口になった。

均等法第一世代が走ってきた道は、
次の世代が“働き方を設計する時代”への確かな道標となった。
これからの40年は、「戦う」ではなく「仕組みを変える」時代だ。

高市総理もまた均等法第一世代の一人であり、
「24時間戦えますか?」が社会の空気だった時代に社会に出た世代だ。
荷物が重くても前に進むしかなかった、その延長線上に今がある。

今回の“午前3時問題”は、彼女個人ではなく、
昭和の働き方設計と現代の制度運用のズレが露わになった出来事でもある。

均等法第一世代が背負ってきた荷物は、
次の世代が「設計を変える」ための確かな土台になっている。

投稿者アバター
後藤 直子
大企業から中小企業まで、多くの現場で“辞めたいのに辞められない”“助けを求められない”という声を聞き続けてきました。制度疲労した組織、仕組みが整わない職場、その狭間で苦しむ人を数多く見てきた経験から、「退職を安全に、そして前向きな再スタートにつなげられる仕組みが必要だ」と強く感じ、リスタート退職サポートを立ち上げました。働く人が安心して次の一歩を踏み出せる社会づくりに取り組んでいます。

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